2008年09月05日

1984年てどんな年?

カウント・ベイシー/スイングの心象



牧場で馬と暮らしながら、年は暮れて1984年になりました。

1984年(昭和59年)がどんな年だったのか、ほとんど思い出せませんので調べてみました。

北米の最高峰マッキンリーに冬季単独登頂に成功した植村直己さんが下山途中で消息不明になったのがこの年の2月でした。

7月にはロサンゼルスでオリンピックが開かれて、カール・ルイスが活躍しました。

10月にはインドのインディラ・ガンジー首相が射殺されました。

11月に新札が発行されて、1万円札は福沢諭吉、五千円札は新渡戸稲造、千円札は夏目漱石に変わりました。

11月の菊花賞で優勝して、シンボリルドルフが無敗で三冠馬になりました。

この年のヒット曲は森進一の「北の蛍」、細川たかしの「浪花節だよ人生は」、中森明菜の「北ウイング」、松田聖子の「ハートのイヤリング」、小泉今日子の「ヤマトナデシコ七変化」、高橋真梨子の「桃色吐息」、郷ひろみの「2億4千万の瞳」、舘ひろしの「泣かないで」、わらべの「もしも明日が」、安全地帯の「ワインレッドの心」でした。

テレビのCMではエリマキトカゲが話題になりました。

この年に亡くなったのは俳優の長谷川一夫(76)、歌手の霧島昇(69)、ジャズミュージシャンのカウント・ベイシー(79)、劇作家のリリアン・ヘルマン(79)、小説家のトルーマン・カポーティ(59)、映画監督のフランソワ・トリュフォー(52)、映画監督のサム・ペキンパー(59)でした。


植村直己物語  偉大なる三冠馬たち   銭形平次捕物控 死美人風呂  映画に愛をこめて アメリカの夜  ゲッタウェイ  ティファニーで朝食を〔Rubybooks〕
ラベル:1984年
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2008年05月26日

1982年、中日ドラゴンズ、リーグ優勝

ドアラのひみつ


二年半、留守にした日本に帰って来て、久し振りにテレビを見ました。海外にいた間は安ホテルばかりに滞在していたので、テレビを見てはいませんでした。たとえ、見たとしても理解はできなかったでしょうが‥‥‥

知らない人たちがいっぱい、テレビで活躍していました。テレビから流れて来る流行歌もみな知りませんでした。記憶に残っているテレビ番組はありませんが、その年のプロ野球が面白かったのは覚えています。

日本を出る前、特に応援しているチームはありませんでしたが、「野武士野球」と呼ばれていた中日ドラゴンズが面白くて応援しました。

星野監督が現役最期の年で、投手陣には小松、都、郭源治、牛島らが活躍し、野手は田尾、平野、モッカ、谷沢、大島、宇野、中尾、上川らが活躍していました。中でも、現在ドラゴンズの打撃コーチを務めている宇野選手の活躍は記憶に残っています。

その年、中日ドラゴンズは8年振りのリーグ優勝を果たし、以後、ずっと、ドラゴンズを応援し続けています。


動画「中日ドラゴンズ 1982年 リーグ優勝


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posted by 酔雲 at 12:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 番外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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