2007年05月09日

アディオス、スペイン

イベリア 魂のフラメンコ


年が変わって、3月半ば頃までマドリッドにいましたが、毎日、何をしていたのか、記憶にありません。

マドリッドの冬は雪も降ったし、寒かったと思いますが、大して売れない絵やアクセサリーを道端で売っていたのかもしれません。テレビもなく、音楽を聴くでもなく、何をしていたのでしょう。

そういえば、今、思い出しました。画家のB氏から、山本周五郎の文庫本を借りて読んでいた時期がありました。周五郎を読んだのは初めてでしたが、けっこう面白くて、何冊も借りて読みました。

ポリスがうるさくなって、道端で商売するのも厳しい状態になって来て、ビザも切れるし、三月の半ばにパリに戻る事に決めました。

マドリッドには日本食のレストランが少なく、アルバイトもありません。パリに行って、金を稼ごうと思いました。去年、国外退去になったけど、フランスの政権が変わったので、大丈夫だろうと、半年間を過ごしたスペインを後にしました。

スペインは過ごしやすい国でした。人々も陽気で楽しく、気楽に「オーラ」と挨拶を交わしてくれました。あまり、縁はありませんでしたが、セニョリータも可愛い娘が結構いました。

何となく、後ろ髪を引かれるような思いで、独り、パリへと旅立ちました。


ビゼー:歌劇 カルメン  カルメン  ハモン・ハモン  ドン・ジュアン  ベルエポック  サロメ
タグ:マドリッド
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2007年04月11日

年が明けて、1981年になりました

Seiko Matsuda


マドリッドで1980年は暮れ、1981年が始まりました。

いつもの仲間たちと集まって、新年を迎えたのだろうと思いますが、覚えていません。

クリスマスはみんなで集まって騒ぎました。顔に絵の具を塗って街に繰り出したら、予想外に街は静かで拍子抜けしたのを覚えています。

カトリック信者の多いスペインではクリスマスは家庭で静かに過ごすようです。恥ずかしくなって、公園の噴水で顔を洗ってお開きになりました。

さて、1981年がどんな年だったのか、調べてみました。

その年の日本は豪雪で始まったようです。

1月にロナルド・レーガンがアメリカの大統領に就任して、5月にミッテランがフランスの大統領に就任しています。

6月にパリで日本人留学生がオランダ人女性を殺し、バラバラにして、その肉を食べるという事件がありました。

7月にダイアナ妃がチャールズ王子と結婚しています。

10月に夕張炭鉱で火災事故が起きて93人も亡くなっていますが、今現在まで、まったく知りませんでした。

11月に女優のナタリー・ウッドが亡くなり、12月に作家の横溝正史が亡くなっています。

黒柳徹子の「窓ぎわのトットちゃん」と田中康夫の「なんとなくクリスタル」がベストセラーだったようです。

ヒット曲は、寺尾聡の「ルビーの指輪」、五輪真弓の「恋人よ」、松山千春 の「長い夜」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」、竜鉄也の「奥飛騨慕情」、山本譲二の「みちのくひとり旅」などがあって、去年デビューした松田聖子も数々のヒット曲を歌っています。

テレビでは「オレたちひょうきん族」「北の国から」が始まっています。

そして、女優の菊地凛子、柴咲コウ、眞鍋かをり、片瀬那奈、歌手のビヨンセ、中日ドラゴンズの朝倉、日本ハムの正田、スケートの荒川静香らが、この年に誕生していました。

あれから、そんなにも月日が流れていたとは、信じられない事です。


ダイアナ妃物語  青春歌年鑑’81 BEST30  オレたちひょうきん族  北の国から DVD 12巻セット  ビヨンセ Beyonce / Dangerously In Love
タグ:1981年
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2007年03月18日

ワインとオリーブ

情熱のスペイン


スペインにはバルと呼ばれる一杯飲み屋が数多くあります。

カウンターとボックス席が2つ3つの小さな店が多く、客はワインを立ち飲みします。一杯のワインにちょっとしたつまみが付いていて、オリーブを出す店が多かったように思います。

ワインはボトルからではなく、樽から注いでくれます。壁に何種類かのワインの樽が並べてあって、好きなのを選んで飲むわけです。つまみのオリーブも色々な種類がありました。

オリーブをつまみながら、ワインを一杯飲んで、次のバルへとはしごをします。値段が安いので、皆、5、6軒はしごをするのではないでしょうか。

昼間も営業していて、コーヒーやサンドイッチも出していたような気がします。昼間っから、ワインを飲んでいるスペイン人もいましたが‥‥‥

気楽に入れる店が多く、夜になるとスペインの人たちは陽気に騒いでいました。


クイーングリーン・オリーブ  フラガタ・スパニッシュ・オリーブ・オレンジ  アディーナライプオリーブ  バルニエ オリーブリュック・グリーン  【リビー】スタッフドオリーブ  イバラ オリーブ・ガーリック
タグ:マドリッド
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2007年03月05日

トレドに行きました

ジグソーパズル[スペインの古都 トレド]


モロッコに行く前だったと思いますが、トレドに行きました。

みんなから、トレドだけは是非、見るべきだと勧められて、スウェーデンから流れて来たO氏と一緒にバスに乗って出掛けました。

古い街だとは聞いていましたが、思っていた以上に、中世がそっくりそのまま残っている街でした。

石畳の敷かれた道を不思議な国に来たような気分でキョロキョロしながら歩きました。男同士で歩くよりも恋人同士で歩くべき街です。

エル・グレコの家があって、勿論、見学しました。グレコの絵も何枚か見たと思いますが覚えていません。

古い石の橋を渡って、向こう側から見たトレドの街は見事でした。


スペイン製メタルハイザラ  スペイン製 カントリー チェスト  スペイン製 カントリー ダイニング5点セット  スペインダマスク彫金ペンダント  エンジェル・バーチューコレクション「愛の天使」
タグ:トレド
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2007年02月22日

DUCADOSを吸いながら

  
ducados     fortuna


スペインにいた頃は、DUCADOSというタバコを吸っていました。

当時、日本ではセブンスターが150円、ハイライトが120円だったと思います。マイルドセブンはあったと思いますが、今のように、ライトとかスーパーライトとかはありませんでした。

今はどこに行っても禁煙で、タバコを吸う場所を探すのが大変ですが、あの頃はそんな事はなく、ヨーロッパでは若い女の子もよくタバコを吸っていて、道端で、タバコをねだられる事がよくありました。

DUCADOSは日本円にして70円位だったような気がします。タバコの葉が少し黒くて、独特な香りがありました。慣れてしまえば、少しも気になりませんが。

DUCADOSの上にFORTUNAというタバコがあって、それは100円位だったと思います。FORTUNAの方がうまいのですが、値段の差は大きく、DUCADOSばかり吸っていました。

時々、紙巻タバコのDRUMも吸っていました。片手だけでカッコよく巻く練習をしたものです。


手巻きタバコ用巻紙  一発笑火! おもしろ火消し灰皿セット  オイルマッチ  【どこでも着火】バードアイ丸缶ロウマッチ  
タグ:たばこ
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2007年02月17日

腕時計を買いました

CITIZEN 目覚まし時計 パルデジットR051


毎日、絵を売っていたマヨール広場から、アパートに帰る途中、ディスカウント・ショップがあって、そこで腕時計を買ったのを思い出しました。

私は腕に時計をはめるのが好きではなく、普段も腕時計はしません。日本を出る時もしていませんでした。

山の中に行くわけではなく、都会に行くのだから、時計なんてどこにでもあるだろうと思って気にもしませんでした。小さな目覚まし時計だけは持って行きました。

パリで絵を売っている時、近くに時計はなく、太陽の位置で時を計っていました。それでも、駅とか空港とかには時計があるので何とかなりました。

腕時計がなくてもどうにかなったのですが、毎日、その店の前を通って、飾ってある時計を見ているうちに欲しくなって、とうとう、買ってしまいました。デザインが気に入ったのでしょう。安い時計だったので、日本に帰って来る前に壊れてしまいました。


セレクトウォッチ SUPREME  CASIO G-SHOCK MR-G  タグホイヤー アクアグラフ  ブライトリング クロノマットエボリューション
タグ:マドリッド
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2007年02月11日

気楽に生きていました

カルメン・フランコ


マドリッドに戻り、いつの頃からか忘れましたが、ホテルから安いアパートに移りました。

あの頃は携帯電話などありませんでしたが、何となく自然に集まって、仲間たちと行動を共にしていました。溜まり場になっているバルに顔を出すと誰かがいて、誰かの噂をしていると本人が現れるといった具合でした。

いちいち約束をするわけでもなく、何となく一緒になって何かをしていました。ビンゴに行ったり、ボーリングに行ったり、ビリヤードに行ったり、酒を飲んだりしていました。

フラメンコを見に行った事もありました。画家のA氏とB氏のアパートで徹夜麻雀をしたりもしました。

道端で絵やアクセサリーも売っていましたが、毎日、気楽にやっていました。残念ながら、セニョリータたちと出会う機会はありませんでしたが‥‥‥


カーサ・デ・ラ・エルミタ  リベレーニョ  エル・ビンクロ・リゼルバ  テルマンシア 2003
タグ:マドリッド
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2006年12月17日

みんなで行こう、モロッコへ

カサブランカ


誰が言い出したのか忘れましたが、三ヶ月の観光ビザがそろそろ切れるので、モロッコに行こうと言いました。一度、国外に出て、入国すれば、また三ヶ月は滞在できるというのです。

道端で絵を売っていて、パリの時のように国外退去になったらたまりません。私はすぐに行こうと話に乗りました。

モロッコに関しての知識はまったくありません。マレーネ・ディートリッヒの映画「モロッコ」とハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの映画「カサブランカ」くらいでしょうか。二つの映画の場面を思い浮かべながら、何となく面白そうだと期待に胸を膨らませました。

11月の半ば頃か、12月の初め頃だったと思います。

一緒に行ったのは、画家のK氏とS氏とE氏、それと、K子さんとS子さん、そして、私の6人でした。

久し振りの旅行は珍道中になりました。


モロッコ ◆20%OFF!  カサブランカ  風とライオン  外人部隊  知りすぎていた男
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2006年12月04日

スペインの日本人画家

水彩画


マドリッドには日本人の絵画きさんが大勢、絵の勉強をしていました。

スペインは物価が安くて、食事も日本人に合っていて、住み易く、長期滞在するには絶好の国でした。

私はスペインの絵画についてはあまり知りませんでしたが、何か惹かれるモノがあって、スペインに集まって来たのだろうと思います。かつてのエコール・ド・パリのような感じだったのかもしれません。

私がマドリッドに着いた時、同室だった画家のB氏は、後に出会った画家のA氏と一緒にアパートを借りて、共に絵の学校に通っていました。授業料も日本に比べて安かったようですが、私には学校に通うほどの余裕はありませんでした。

K氏とS氏は銀座で二人展を開いて、絵が売れたので、友達と一緒にヨーロッパを旅してから、マドリッドに落ち着いて、絵の勉強を始めました。K氏とS氏は共に40歳前後で、私たちよりも大分、年上でしたが面白い人たちで、よく一緒に行動していました。

画家のE氏は私がマドリッドに着いた時はもうアパートを借りていて、絵の勉強をしていたと思います。後に、E氏と私は一緒に道端で、石で作ったネックレスを売りました。

皆、日本人がよく集まるバルで出会ったのだと思います。一緒に、ワインやビールを飲んで騒ぎました。B氏とA氏のアパートでは、みんなで集まって、パーティをやったりもしました。


ヌードポーズ・コレクション 1メール・ヌード・コレクションポーズカタログ 1.基本編動くポーズ集 1.アクション編ポーズ・ファイル 1.裸婦による多角度ポーズ1800アクションポーズ5000 1 基本ポーズ編戦闘アクションポーズ集1 戦闘服篇コスチュームポーズ集1 キャンペーンガール&水着篇   カラー人体解剖学    北斎漫画(第1巻)
タグ:マドリッド
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2006年11月23日

革の水筒でワインをゴクリ

革の水筒


スペインにはワインを入れる革の水筒があります。口の所に小さな穴が開いていて、革の部分を押すとワインが水鉄砲のように飛び出します。口の中めがけてワインを飛ばして飲むのです。慣れないと口の中にワインが溜まってしまって、飲み込むのが大変です。

長年、使っているとワインが革に染みて、いい色の水筒になります。

是非、その水筒を日本に持って帰りたいと思っていたのですが、買うのを忘れてしまいました。20年前の事なので、日本では手に入りにくく残念な思いをしました。

ワインを水鉄砲のように飛ばして飲むなんていう発想は、揺れる馬上でワインを飲むために生まれたのでしょうか。日本人にはとても考えつかない事です。

それと似ているかもしれませんが、スペイン人はペットボトルなどで水を飲む時、決して、口を付けず、大口を開けて上を向き、ベットボトルから落とした水をうまく飲んでいました。その方が衛生的でいいのでしょうが、真似をするのは難しいです。口から溢れて、服がビショビショになったり、もろに顔にかけてしまいます。

私もスペインにいた時は、彼らを真似て、そういう飲み方をしていましたが、いつの間にか、すっかり忘れてラッパ飲みをしています。今、やれといってもできないでしょう。


LAKEN ラーケン社製 スペイン水筒  テルマンシア〔2002〕  超希少モンダリズ(瓶入り)250ml×40  キャンドルアレンジ(M)
タグ:水筒
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2006年11月10日

ピパス(ひまわりの種)

ピカソ


絵を売りながら暇つぶしに食べていたのがピパスと呼ばれるひまわりの種です。

これが、食べ始めたら止らないのです。一袋が日本円にして20〜30円だったと思います。

初めの頃はスペイン人の真似をしても、なかなか、うまく食べられませんでした。口の中で、種のカラを割って、中身を食べるというのが、慣れるまでは大変でした。慣れてしまえば何でもありません。ひまわりの種を口の中に放り込んでは、ペッとカラを吐き出せばいいのです。丁度いい塩加減で、結構、おいしかったです。

マドリッドの公園のベンチには決まって、ひまわりの種のカラが散らかっていました。


ナチュラルナッツ ひまわりの種  かぼちゃの種  ナチュラルナッツ松の実
タグ:マドリッド
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2006年11月01日

日本人のテキヤさん

セビリアの祭り


今もいるかどうか知りませんが、1980年当時、スペインには日本人のテキヤ(露天商)さんが何人もいました。各地の祭りを巡って、石で作ったネックレスを売っていました。

どこかの海岸で集めたという楕円形で平たくて白い石に花などの絵と女性の名前を書いて、石の回りに針金を巻き、マニキュア液を塗って完成です。鎖は別売だったと思います。

綺麗に並べて飾り、若い女の子が自分の名前があると喜んで買って行きました。名前がない時は、その場で書いてやったりもしていました。

歌劇で有名な「カルメン」という名の女性は多かったようです。マリ・カルメンという名前もありました。売れる名前というのが何種類かあって、その名前には色々な絵との組み合わせを作っておきます。

値段はいくらだったかはっきりと覚えていませんが、日本円にして500〜1000円位だったと思います。けっこう売れていて、それだけで充分に生活できたようです。

私も絵があまり売れないので、後半は石のネックレスを売りましたが、繁華街はだんだんと警察の目がうるさくなり、街のはずれで売っていたせいか、思った程は売れませんでした。


ロイヤルオーダー ペンダントトップ SP28-L  ティファニースターフィッシュペンダントMINIMINI11508677  ティファニーテンダネス2ハートペンダントM  TIFFANY&Co アルファベットペンダント


沖縄二高女看護隊・チーコの青春

沖縄に戦争がやって来た。
昭和19年3月、卒業間近の二高女四年のチーコたちはお国のために看護婦になって野戦病院で働きます。翌年4月、アメリカ軍が沖縄本島に上陸して、次々に運ばれて来る重傷患者たちを必死に看護するチーコたち。悲惨な状況に追い込まれて犠牲となった女学生たちの物語です。
タグ:マドリッド
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2006年10月24日

ポリスが来たら逃げました

No.462


日曜日はラストロの蚤の市に出掛け、平日の日はマヨール広場やプエルタ・デル・ソルの近くにあったエル・コルテ・イングレスというデパート前の通りで絵を売っていました。

道端に店を広げて売っているのは私だけではなく、アフリカ系の人たちがアクセサリーや民芸品を売っていました。木彫りの置物が多かったと思います。

道端に並んで売っていましたが、別に縄張りのようなものはなく、早い者勝ちだったようで、場所の事で文句を言われた事はありませんでした。

時々、ポリスが見回りに来ると、順に知らされて、皆、素早く店をたたんで消えて行きました。私も絵を片付けて一緒になって逃げました。その日はそれで商売は終わりです。

パリとは違って、マドリッドでは絵に興味を示す人は少なく、あまり売れませんでした。それでも、毎日、絵を描いては売りに出ていました。


コロン人形 アフリカンオブジェ ヌナマスク  バンバラ像  マクバマスク  マスク ファングドゴン
タグ:マドリッド
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2006年10月14日

蚤の市で絵を広げました

ラストロの蚤の市


マドリッドに着いて最初の日曜日、ラストロの蚤の市に出掛けて、パリで売っていた絵を広げました。

ラストロの蚤の市は、毎週日曜日に開催されて、場所代を払えば、誰でも参加する事ができました。1980年の当時、100ペセタだったと思います。日本円にして300円位でした。

同じホテルに滞在している人から情報を聞いて、何人かと一緒に行ったのだと思いますが、あまりよく覚えていません。当時、イギリスのパンクが流行り始めた頃で、耳に安全ピンをピアス代わりに差していた17歳の兄さんが一緒にいました。名前は忘れてしまいましたが、よく一緒にウロウロしていたような気がします。

その兄さんに留守番を頼んで、私も市場を見て歩きましたが、色々な物を売っていました。旅行者たちもいらなくなった物を並べて売っていたように思います。まるで、祭りの露店のようで、見ているだけでも楽しかったです。残念ながら、私の絵はパリのようには売れませんでした。

そこで、K子さんと出会いました。K子さんは英語がペラペラで、スペイン人だか、イギリス人だかの女の子と一緒でした。私の絵を見に来て、色々と話をしました。市場が終わった後、どこかでコーヒーでも飲んだのか覚えていませんが、K子さんとはその後も何度も会う事になります。


スペイン扇子  ボレー(bolle)KICBACK偏光サングラスブラウン  ローズマリー純粋蜂蜜  鍋付きシーフードパエリア
タグ:マドリッド
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2006年10月06日

エル・グレコの絵に何かを感じました

エル・グレコ


マドリッドで観光した所はプラド美術館だけでした。スペインに観光に行ったというより、パリからマドリッドに引っ越したという感じでした。

プラド美術館には二度ばかり行ったと思います。グラン・ビア通りの電話局の近くの安ホテルから、のんびりと歩いて行きました。

記憶に残っている絵はゴヤの「裸のマハ」と「黒い絵」、ベラスケスの「マルガリータ王女」、ボッシュの「快楽の園」くらいです。

「裸のマハ」は有名ですから、これが本物かと眺めました。「黒い絵」のシリーズは初めて目にしました。ゴヤがこんな絵を描いていたのかと驚きました。

ボッシュの「快楽の園」は奇妙な絵でした。そして、圧倒されたのが、エル・グレコでした。

当時、私はエル・グレコを知りませんでした。宗教画はあまり興味ありませんでしたが、エル・グレコの絵には何かを感じました。


プラド美術館名画に隠れた謎を解く!  裸のマハ  ゴヤとその時代  ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む  名画への旅(第11巻)  スペイン宮廷画物語
タグ:マドリッド
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2006年09月28日

スペインの映画と女優

血と砂


スペインの映画はあまり観ていませんが、闘牛士の話で「血と砂」というのを思い出しました。

1989年の作品ですから、スペインに滞在していた9年後の作品です。多分、テレビで観たのでしょう。まだそれほど売れる前のシャロン・ストーンが出ていて、悪女を演じていたのを覚えています。今でも綺麗ですが、30歳になったばかりの頃で、若くて綺麗でした。その演技が認められたのか翌年、「トータル・リコール」に出て、アーノルド・シュワルツェネッガーと共演しています。そして、1992年の「氷の微笑」でスターの座を不動のものとします。

スペイン人でもないシャロンがどうして、スペイン映画に出たのかわかりませんが、そこで演じた悪女役が受けて、悪女路線を進み、人気を得たように思います。

スペイン生まれの女優といえば、やはり、ペネロペ・クルスでしょう。見るからにセニョリータという感じの美人です。

1974年生まれですから、私がマドリッドにいた頃は6歳の女の子でした。ペネロペの映画は「コレリ大尉のマンドリン」と「バニラ・スカイ」の2本しか観ていません。「コレリ大尉」ではなぜか、ギリシャ娘を演じ、「バニラ・スカイ」ではどこの国の人だったのでしょう。映画の方も何だかよくわからない映画でした。スペイン女性らしく、メリメの「カルメン」を演じてみたらいいのにと思います。

ついでに思い出しましたが、マドリッドに滞在中、日本人旅行者の役を演じるエキストラを募集していて、仲間たちと参加しました。どこかの屋敷に日本人の団体旅行者が訪ねて行って、そこの主人に一人一人順番に挨拶をするという演技でした。20人位の日本人が参加したと思います。支度は普段着のままで衣装もなく、ただ、偉そうな人に頭を下げて挨拶をするだけでした。日当は日本円にして一万円位だったと思います。一日がかりでしたが、その収入は大いに助かりました。その映画がどんな内容の映画だったのか、私もちゃんと映っていたのか、未だにわかりません。


コレリ大尉のマンドリンバニラスカイ  美しき虜  赤いアモーレ  ハモン・ハモン〈無修正版〉  カルメン 完全無修正
タグ:マドリッド
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2006年09月20日

スペインの夕食は8時過ぎでした

スケッチ・オブ・スペイン


名前は忘れましたがマドリッドの安ホテルには日本人が何人もいました。一泊の宿代は1000円前後で、当時、1ペセタは3円位だったと記憶しています。

何日もそのホテルに滞在している人も多く、色々な情報を聞く事ができました。ヨーロッパをあちこち旅して、物価の安いスペインに流れ着き、ここが気に入って長逗留している人が多かったように思います。

シングルルームが空いていなかったのか、相部屋に通されました。一緒になったBさんはスペインに絵の勉強に来た絵画きさんでした。安いアパートを捜して、美術学校に通うと言っていました。

何時にホテルに着いたのか覚えていませんが、荷物を置いて近くをブラブラしたと思います。帰って来て、何人かと一緒に安いレストランに夕食を食べに出掛けました。Bさんも一緒だったと思います。

スペインにはシエスタという昼寝の習慣があって、夕食時間は9時頃食べるのが普通でした。レストランが開店するのも8時過ぎなので、慣れるまで大変でした。昼寝の時間にはほとんどの店が閉まってしまいます。1時頃に閉めて、4時か5時になるまで開きません。何か用をたすにも、夕方になるまで待っていなくてはなりませんでした。

みんなから「アントニオの店」と呼ばれているレストランには日本語のメニュもあって、何種類かの定食が500円以下で食べられました。マドリッドに滞在中はほとんど毎日のように、その店に通っていたような気がします。


スペイン  地球の歩き方(2007〜2008年)  素顔のスペイン  スペインを旅する会話
タグ:マドリッド
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2006年09月15日

情熱の国、スペインへ

ドンキホーテ


突然、スペインに行く事になりましたが、スペインに関する事はあまり知りませんでした。知っている事といえば、闘牛とフラメンコ、画家のピカソとダリぐらいです。スペインの映画といっても思い出せず、俳優も知りません。

そういえば、当時、有名な歌手がいたのを思い出しました。確か、フリオ・イグレシアスという名で、スペイン人だったと思います。甘い声で、「ビギン・ザ・ビギン」を歌っていました。

スペイン料理で有名なパエリャ、マドリッドではパエジャと言っていますが、それすらも知りませんでした。イベリコ豚も知りませんし、シェリー酒の「ティオ・ペペ」も知りません。スペイン語で知っていたのはセニョリータくらいでした。

パリから特急列車に乗ってマドリッドに行ったのか、国境で乗り換えたのか、覚えていません。ただ、マドリッドに着いた時、日差しが強かったのと、暑かったのを覚えています。

半年振りにバックパックを背負い、アメリカからずっと履いているトニーラマで、キョロキョロしながら、マーシャルネイの仲間に聞いた安いホテルを目指して歩きました。

今、久し振りにマドリッドの地図を眺めましたが、安ホテルがどこにあったのか思い出せませんでした。半年も滞在して、あちこちウロウロしていたのに、どこに住んでいたのか思い出せないなんて情けない話です。少しづつ思い出しながら書いてみます。


カラス/ビゼー:カルメン 全曲  今宵もロマンティック / フリオ・イグレシアス    ハモン・イベリコ・ベリョータ 骨付き ホール(2年熟成以上)
タグ:マドリッド
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