2006年04月30日

1980年てどんな年?

ジョン・レノン イマジン


海外で迎えた1980年がどんな年だったのか、調べてみました。

速いもので、もう26年前の事です。思い出そうとしても、なかなか思い出せません。

日本の総理大臣は大平さんでしたが、5月に急死して、鈴木さんが就任しました。アメリカ合衆国では、11月にレーガン大統領が就任しました。

モスクワでオリンピックが開かれましたが、日本は不参加でした。

イエスの方舟事件、富士山の落石事件、新宿西口バス放火事件、川治プリンスホテル全焼事件がありましたが、まったく知りませんでした。

ルービック・キューブというのが流行ったようですが、やった事はありません。

ショウケンといしだあゆみが、森進一と大原麗子が結婚しました。両方とも破局に終わっています。

松田聖子がデビューして、山口百恵が引退しました。

黒澤明の「影武者」がカンヌ映画祭でグランプリを受賞しました。

画家のオスカー・ココシュカが93歳で亡くなりました。

小説家の白井喬二が91歳、五味康祐が58歳、ヘンリー・ミラーが88歳で亡くなりました。

映画監督のアルフレッド・ヒッチコックも80歳で亡くなっています。

鞍馬天狗の嵐寛寿郎が77歳で亡くなりました。

シャンソン歌手の越路吹雪が56歳で亡くなっています。

ジョン・レノンが40歳で亡くなったのもこの年でした。

プロ野球では巨人の長島監督が辞任して、王貞治選手が40歳で引退。ロッテの張本勲選手が日本プロ野球史上初の3000本安打を本塁打で飾りました。西武にいた野村克也選手も45歳で引退しています。

流行語は、カラスの勝手でしょ、ナウい、買春観光、ビニ本、それなりに、赤信号みんなで渡ればこわくない、とかがあったようです。


山口百恵/コンプリート百恵回帰  影武者  バルカン超特急  鞍馬天狗 角兵衛獅子  越路吹雪ラストメモリアル〜愛の讃歌
  
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2006年04月27日

ニューヨークは寒すぎました

ゲルニカ


7日間のバス旅行の末に着いたニューヨークは寒くて、何となく怖い街でした。

ニューヨークに着く前、摩天楼が見えた時はやはり感動しました。やっと着いたと思う反面、独りでニューヨークに来た事に心細さを感じました。

トンネルを抜けて、マンハッタン島に入ったと思います。何時頃、着いたのか、バスターミナルからどこに向かったのかは覚えていません。

ニューヨークではホテルに3泊くらいしたと思います。ホテル代が高かったのは記憶していますが、何というホテルだったのかは忘れました。タイムズ・スクエアの近くだったような気がします。

暖かかったロサンジェルスを出る前に買った安いダウンジャケットが役に立ちました。ダウンジャケットがなければ、寒すぎて、とても歩く事もできなかったでしょう。もっとも、ニューヨークでも買う事はできましたが。そのダウンジャケットはその後も随分と役に立ち、充分に元を取りました。

ホテルの中にあったテレビが何チャンネルもあって、映画を見たのを覚えています。

地下鉄は恐ろしくて乗れず、街の中はもっぱら歩きました。覚えているのはメトロポリタン美術館とグッケンハイム美術館に行った事くらいです。

何の絵を見たのか忘れましたが、ピカソのゲルニカを見たような気がします。ゲルニカがまだ、スペインに帰国する前で、ニューヨークにあったように思いますが、記憶違いかもしれません。

実際に見たゲルニカは思っていたよりも大きく、白と黒とグレー系の色だけでまとめられていたのに驚きました。しばらく、絵の前に立って、じっと眺めました。


ウエスト・サイド物語  ティファニーで朝食を  踊るニューヨーク  星の王子ニューヨークへ行く  めぐり逢えたら  ニューヨークの恋人
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2006年04月25日

バスに揺られて「堕落論」

レイモンド・チャンドラー「さらば愛しき女よ」「長いお別れ」


バス旅行するにあたって、リトル東京の書店で日本の文庫本を買いました。値段は二倍以上したと思います。

何冊か買ったと思いますが、覚えているのは、坂口安吾の「堕落論」です。

堕落論」を読みながら、アメリカ大陸を横断したわけです。

多分、あの頃、太宰治とか、坂口安吾の小説を読んでいたのでしょう。

日本を出る前、シナリオを書くために、シェイクスピア、ドストエフスキー、トルストイ、ゲーテなどを読み漁っていました。

日本文学も色々と読んでみました。

つまらない物は途中でやめてしまいましたが、太宰治は意外と面白くて、同じ無頼派の坂口安吾も読み始めました。日本を出る直前に安吾を読んでいたのかもしれません。

シナリオのためではなく、好きで読んでいたのはハードボイルド小説です。

ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーの二人の作品は、すべて読みました。ロス・マクドナルドもほとんど読んでいます。ミッキー・スピレーンも面白かったです。

そういえば、ロサンジェルスの書店でハメットとチャンドラーのペイパーバックを5、6冊買ったのを思い出しました。

洒落た英会話の勉強をしようと買ったのですが、結局、数ページを読んだだけでした。

ニューヨークに行くにあたって、余計な荷物は船便で日本に送りましたが、ペイパーバックも一緒に送ったように思います。


堕落論  マルタの鷹  さらば愛しき女よ  長いお別れ  三つ数えろ  ハメット
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2006年04月22日

ダーティ・ハリー気取りで44マグナムを撃つ

S&W M29 44マグナム


ふと、ロサンジェルスで射撃ツアーに参加した事を思い出しました。

友人Aと一緒に申し込んで、郊外にある射撃場で実弾を撃ちました。

説明を聞いて、色々な種類の拳銃を何発かづつ撃ちました。

ワルサーP38、ワルサーPPK、ルガーP08、コルト45、ブローニング・ハイパワー、S&W44マグナム、ポリス用のリボルバーを撃ったのを覚えています。

ワルサーP38はルパン三世になったつもりで、ワルサーPPKはジェームズ・ボンドになったつもりで、S&W44マグナムはダーティ・ハリーになったつもりで撃ちました。

さすがに、S&W44マグナムは凄い反動がありました。必ず、両手で撃てと言われましたが、慣れるにしたがって、最後の一発は片手で撃ってみました。

ブローニング・ハイパワーは好きな拳銃で、モデルガンを持っていたので、本物を撃った時には感動しました。

拳銃だけでなく、マシンガンやライフルも撃たせてもらいました。ゴルゴ13愛用のアーマライトM16も撃ちました。西部劇に出てくるウィンチェスターもジョン・ウェインになったつもりで撃ちました。

最後には戦争で使うような大型の機関銃も撃ってみました。周りで射撃練習をしていた人たちが目を点にして眺めていました。


ブローニングハイパワー  ルガー P08  S&W M66  ワルサーP38  ワルサーPPK  ウィンチェスター M1873  M16A1
タグ:44マグナム
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2006年04月20日

昼間はブラブラ、夜は夜行バス

欲望という名の電車


ロサンジェルスを後にして、グレイハウンドバスで7日間かけて、ニューヨークに行きましたが、途中、ホテルに泊まったという記憶がありません。六泊しているはずですが、すべて、夜行バスの中だったのでしょうか。

途中で降りた場所で記憶に残っているのは、フェニックス、ヒューストン、アトランタ、ナッシュビル、ニュー・オリンズくらいです。

ニューヨークに行くという目的しかなかったので、毎日、時刻表を見ながら、夜行バスに乗って、着いた場所をブラブラして、また、夜行バスに乗ったようです。

フェニックスは不死鳥という名前に興味を持って行きましたが、どんな街だったのか覚えていません。

宇宙基地のあるヒューストンは、ただ名前を知っていたので行ってみたのかもしれません。宇宙基地も見てませんし、砂漠の中にあったような記憶が残っているだけです。

アトランタは「風と共に去りぬ」の舞台だったので、行ってみました。街を見て歩き、さて、これからどうしようと、公園で時刻表を見ていたら、若いあんちゃんに声を掛けられて、マリファナを売ってやると言われ、断ったけどしつこいので、10ドル買うと言いました。何時に持って来るから待ってろと言われ、10ドル渡して、待っていましたが、いつになっても戻って来ません。だまされたと思っても後の祭りです。これからは気をつけようと、いい教訓になりました。

ナッシュビルはカントリー・ソングのメッカだったので行ってみましたが、カントリーソングを聴いたわけでもなく、昼間、ウロウロして、夜行バスに乗り込みました。

ニュー・オリンズはジャズの街なので行ってみました。フレンチ・クォーターの雰囲気が気に入って、昼間あちこちを見て歩いて、夜行バスでどこかに行って、また戻って来たのを覚えています。ジャズが好きだったので、ミュージシャンが道端で演奏しているのを聞いて過ごしました。皆、本当に楽しそうに演奏しているのが見ていて気持ちよかったです。それに、マーロン・ブランドとヴィヴィアン・リーが共演した「欲望という名の電車」の舞台でもあり、変わった名前が付いた通りを見て歩きました。


風と共に去りぬ  ボブ・ディラン/ナッシュヴィル・スカイライン  シンシナティ・キッド  RCAジャズ100年史
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2006年04月13日

友と別れて、ニューヨークへ

ジャクリーン・ビセット


年も明けて、10ウィークの滞在ビザも少なくなってきました。

そろそろ、帰る事を考えなくてはなりません。

友人Aはブルース・リーの大ファンで、彼が住んでいたシアトルに寄ってから帰ろうと言います。

それもいいかもしれませんが、私はまだ日本に帰りたくはありませんでした。

アメリカの原点であるイギリスが見てみたくなったのです。

当時、私はイギリス女優に憧れていました。ジュリー・クリスティ、ジャクリーン・ビセット、シャーロット・ランプリング、ジェーン・シーモア、他にもいたかもしれませんが忘れました。そういう女性に会いたかったのです。

日本に帰るお金で、イギリス行きのチケットを買ってしまえば、日本には帰れなくなります。それでも、どうにかなるさという楽天的な考えで、私はイギリスに行く事に決めました。

リトル東京にあった旅行代理店で、ロンドン行きのチケットを頼むと、イギリスは入国管理が厳しいので、片道切符では追い返されるかもしれないと言います。料金に大差なかったので、ロンドン経由のパリ行きのチケットを買いました。

ニューヨークまではグレイハウンドバスのチケットを買いました。確か、一週間有効の乗り降り自由のチケットだったと思います。

ヨーロッパに行く予定はなかったので、ヨーロッパに関する知識がまったくありません。地図もないし、安いホテルもわかりません。

日本の本を売っている書店があったので、捜しましたが、いいガイドブックはありませんでした。仕方なく、英語版のガイドブックを買いました。詳しい事までわかりませんが、大体はわかりました。それを頼りに行く事にしました。

1月の半ば頃だったと思います。シアトルに行く友人Aと別れて、バスターミナルからバスに乗り込みました。

急に独りぼっちになり、『真夜中のカウボーイ』のラストシーンが思い出されて心細くなりましたが、そんな気持ちを振り払い、アメリカ大陸横断旅行とその後のロンドン行きに思いを馳せて、心弾ませ旅立ちました。


ドクトル・ジバゴ / ジュリー・クリスティ  シークレット / ジャクリーン・ビセット  さらば美しき人 / シャーロット・ランプリング  ある日どこかで / ジェーン・シーモア  真夜中のカーボーイ
posted by 酔雲 at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-2(アメリカ編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

年が明けて、1980年になりました

リーバイス501


リトル東京に滞在中、何をしていたのだろうと思い出してみても、あまり、記憶に残っていません。

ラスベガスには行きました。バスで行って、一晩中、カジノで遊んで、翌朝のバスで帰って来ました。遊んだと言っても、やっていたのはスロットマシンだけで、使ったのは100〜200ドル位だったと思います。勿論、全部、すりました。

サンタモニカにも行ったと思います。海を見たという記憶しかありません。

ディズニーランドにも行きました。宇宙の中を走るジェットコースターに乗ったのは覚えています。男二人で行っても、面白いわけがありません。

何というデパートだか忘れましたが、大きなデパートに行って、リーバイスの501を買いました。そのジーンズは一度も洗っていないオリジナルでしたが、旅の間、ずっと愛用してはき潰しました。

クリスマスの夜、リトル東京の近くだったと思いますが、ゴミを漁っていた黒人から、どこどこに行けば、飯がタダで食えるぞって言われたのを思い出しました。勿論、行きはしませんでしたが。

あとは何をしていたのやら、思い出せません。

年末年始をロサンジェルスで過ごしたわけですが、暖かかったのを覚えています。

そして、年が明け、1980年になりました。


リーバイスヴィンテージ501XX 1955モデルノンウォッシュ  LEVIS 47501-0017 リーバイス501XX 47MOD ビッグE  LEVIS 55501-0017リーバイス 501XX 55MOD ビッグE  LEVI'S リーバイス 501XX 革パッチ  
posted by 酔雲 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-2(アメリカ編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

夢の都、ハリウッド

マリリン・モンロー


サンフランシスコを後にして、ロサンジェルスに行きました。

宿を取ったのはリトル東京の中のホテルです。

そこのホテルには何日も滞在しましたが、ホテルの名前も部屋の様子も覚えていません。

サンフランシスコではツインの部屋でしたが、ここではシングルの部屋を取って、友人Aと別々に暮らしました。

部屋に落ち着いて、その日はリトル東京をブラブラして、次の日に、旅の目的であったハリウッドに行ったと思います。

ハリウッドではユニバーサル・スタジオを見ました。

ジョーズの出し物があったように思いますが、よく覚えていません。

チャイニーズ・シアターに行って映画も観ました。

その時、やっていた映画が「スター・トレック」で、英語のセリフがわからないせいか、まったく面白くなかったのを覚えています。

歩道にある手形も見て歩きました。

マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン、スティーヴ・マックイーン、ブルース・リーもあったと思います。

もしかしたら、スターに会えるかもしれないと期待しましたが、そんな事はありませんでした。

歩いているのは観光客ばかりのようでした。

綺麗な女優さんのような人にも会わなかったと思います。

ハリウッドは観光地になっていて、思い描いていた夢の都とは少し違うようでした。


マリリン・モンロー ダイヤモンド・アルバム  ジェームズ・ディーンのすべて/青春よ永遠に ◆20%OFF!  スティーブ・マックィーン エッセンシャル・コレクション・ボックス  ブルース・リー in ドラゴン 栄光への軌跡 デラックス版
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2006年04月04日

憧れのトニー・ラマ

トニー・ラマ ウエスタンブーツ J29144


サンフランシスコに滞在した7日間、何をやっていたのだろうと思い出してみても、あまり、はっきりした記憶がありません。

ゴールデン・ゲイト・ブリッジは行きました。

ケーブルカーに乗った記憶はありません。

フィッシャーマンズ何とかという海辺には行きました。

それと、スティーブ・マックイーンの主演映画「ブリット」に出てきたS字カーブの道も歩きました。

毎日、食事はしていたはずなのに、どこで何を食べていたのかも覚えていません。

チャイナ・タウンにも行ったはずですが、中華料理を食べた記憶はまったくありません。

はっきりと覚えているのは、前から欲しかったトニー・ラマの黒いウエスタンブーツを買った事です。

丁度100ドルでした。

日本で買えば三万円以上はするし、東京まで出なければ手に入らなかったので、すぐに買ってしまいました。

友人Aは当時、ボマージャケットと呼ばれていた革ジャンを買いました。

もう、うれしくて、買ったその日から毎日、トニー・ラマを履いて、アメリカの大地を歩き回りました。


トニーラマTony Lama レディースウエスタンブーツ1252L  TONY LAMA BOOTS メンズ ウエスタンブーツ《S5601》  トニーラマTony Lama レディースウエスタンブーツ1342L  トニーラマTony Lama ウエスタンブーツP5310  Tony Lama/トニーラマ C2213
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2006年04月03日

マルタの鷹の舞台、サンフランシスコへ

マルタの鷹


空港近くのホテルを出て、バスでロサンジェルスの街まで行き、駅から電車に乗って、友人Aの親戚の家に向かいました。

その親戚の家がどこにあったのか、まったく覚えていません。

どうやって行ったのかも記憶になく、何となく、電車の乗ったような記憶があり、駅の売店で「ペントハウス」を買ったのを覚えています。

なにしろ、あの頃は日本でヘアヌードは見られませんでしたから、ニヤニヤしながら眺めました。

親戚の家には2日位、お世話になったように思います。

お土産に、こけしを持って行ったのと、大きなスーパーマーケットに買い物に行ったのを覚えているだけです。

その後、サンフランシスコに行ったので、ロサンジェルスとサンフランシスコの中間辺りにあったのかもしれません。

サンフランシスコではチャイナタウンの近くだったと思いますが、ホテル・コロニーに一週間、滞在しました。

ウィークリーホテルで5日分の宿代で一週間泊まれました。

多分、「地球の歩き方」に出ていたのでしょう。

ハメットのハードボイルド小説「マルタの鷹」で、私立探偵スペードの相棒が殺された場所が近くにあって、ここだったのかと感激しました。

映画では、ハンフリー・ボガートがスペード役を渋く演じていました。


地球の歩き方(B 01(2005〜2006年)  マルタの鷹#特別版  アメリカ文学と映画  The Maltese Falcon  PENTHOUSE ワーキング・ウーマン   PENTHOUSE ファイヤー・アンド・アイス
タグ:マルタの鷹
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2006年04月02日

ホテルへ行くのに一苦労

ファラ・フォーセット


無事にロサンジェルスの空港に着いたのは夜中でした。

空港の近くのホテルに予約はしてありましたが、どうやって、そのホテルに行ったらいいのかわかりませんでした。

周り中、英語だらけで、何が書いてあるのかわからず、人に聞いても、何を言っているのかチンプンカンプン。

電話なんて、恐ろしくてできません。

どうしようかと不安な面持ちで、空港内をウロウロしました。

日本人がいたら聞こうと思っても、日本人は見当たらず、みんな、外人ばかりです。

「チャーリーズ・エンジェル」に出ていたファラ・フォーセットみたいな美人もいて、アメリカに来たんだなと感激しましたが、それどころではありません。

やっとの思いで、ホテルまで行くバスを見つけ出して乗り込みました。

そのバスが有料だったのか、無料だったのか覚えていませんが、何とか、ホテルに到着して、ホッと胸を撫で下ろしました。


チャーリーズエンジェルストーリー  チャーリーズ・エンジェルコンプリート1st シーズン  チャーリーズ・エンジェル コンプリート2ndシーズン  サンバーン/ファラ・フォーセット
posted by 酔雲 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-2(アメリカ編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月31日

夢の国へ

友人Aとどこで待ち合わせたのか忘れましたが、成田空港でチェックインを済ませ、荷物も預けて飛行機に乗りました。

何航空だったのかも覚えていません。

初めての飛行機だったので、離陸した時は感激したと思いますが、もう忘れました。

ロサンジェルス行きだったので、向こうに着いてから入国手続きをするのかと思っていたら、ハワイで降ろされ、そこで手続きをしました。

機内で配られた英語で書かれた書類にまごついたのを覚えています。

当時、アメリカの観光ビザは最高三ヶ月で、三ヶ月を貰うのは難しいと言われていました。

私たちは片道切符だったので、余計、難しいと思われました。

それでも、ごつい体つきの係官に、10ウィークと言ったら、あっさり、10ウィークをくれました。

70日も滞在できるなんて、うまく行ったと喜び合いました。

当時、1ドルは250円前後で、50万円位、持って言ったと思います。

飛行機運賃がいくらだったのかは忘れましたが、ハワイが暑かったのは覚えています。

私たちは期待に胸を膨らませ、当時、流行っていた「いとしのエリー」を口ずさみながら、また、飛行機に乗り込みました。

いとしのエリー/サザンオールスターズ  ジャズで聴く桑田佳祐作品集  いとしのエリー / レイ・チャールズ  男のソウルバラード

楽天トラベル 海外航空券予約
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2006年03月28日

旅立ち―ハリウッドを目指して―

ビッグジョン・Gジャン


1979年11月、映画の都、夢のハリウッドを見るため、映画学校の友人Aと成田空港を飛び立ちました。

当時、私は車で日本一周の後、札幌に落ち着いて、大通り公園の近くにある測量会社でアルバイトをしていました。

Aから「ハリウッドに行こうぜ」と連絡があったのがいつだったかは忘れましたが、10月には札幌を後にして、実家に戻り、旅の準備を始めたと思います。

二人とも海外旅行は初めてです。

パスポート作りから、航空券の手配、国際免許にトラベラーチェックやら、色々と大変だったろうと思いますが、まったく覚えていません。

当時、流行っていたフレーム付きのバックパックも買いました。

寝袋も用意して、なぜか、スーツも詰めました。

ジーンズにジージャンを着て、母親に作ってもらった、パスポートやトラベラーチェックが入るポケットの付いたデニムのベストを着て行きました。

靴は何を履いていたのか覚えていません。

靴は履き潰し、ジーンズもはき潰し、向こうで買った物をはいて帰って来ましたが、ジージャンとベストはずっと身に着けていました。

ジージャンはかなりボロボロになって、自分で継ぎを当てて着ていました。

確か、ビッグジョンのジージャンでした。

そのジージャンは旅から帰って、しまって置きましたが、いとこが欲しいというのであげました。

多分、もうないでしょうが、ずっと旅をして来たんだと振り返ると懐かしく思われます。


ラングラー Gジャン  リーライダース 101J1946年モデル  リーバイスGジャン サードモデル  エドウィン Gジャン
タグ:Gジャン
posted by 酔雲 at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-2(アメリカ編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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