2008年11月18日

すすきののトルコ風呂

すすきのの女(ひと)



一年間、馬と共に過ごした牧場を後にして、札幌へと向かいました。

すすきのの安ホテルに泊まって、夜の歓楽街でちょっと遊びました。居酒屋だか、スナックだったか忘れましたが、一杯飲んで、ほろ酔い気分で夜の街をフラフラと歩きました。

当時、「トルコ風呂」と呼ばれていた「ソープランド」のネオンがいくつも輝いていたのを覚えています。

「トルコ風呂」の名称が消えたのはその年(1984年)の12月で、トルコの留学生の訴えによるものでした。


の・ようなもの  幻の湖  嫌われ松子の一生  嫌われちはるの一生  皆月
ラベル:北海道
posted by 酔雲 at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

恋の町札幌

シングル名曲ベスト3コレクション プラチナシリーズ::ブランデーグラス/港町 涙町 別れ町/恋の町札幌



石原裕次郎さんの「恋の町札幌」がヒットしたのは1972年ですが、私の中でヒットしたのは11年後の1983年でした。

新冠の牧場にいた頃、牧場の息子さんに連れられて静内まで行って、スナックで飲みました。その時、よく耳にしたのが「恋の町札幌」でした。いい歌だなあと思って、私も何度かカラオケで歌いました。

この歌を聴くと当時の事を懐かしく思い出します。


動画「長山洋子「恋の町札幌」を歌う


裕次郎・歌、その素晴らしき世界 〜石原裕次郎70祭〜  愛の囁き!デュエット特選集  心にのこる流行歌 決定版  旅情歌謡 ベスト  『哀愁のムード歌謡大全集』
ラベル:北海道
posted by 酔雲 at 13:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月23日

北海道の新冠で偶然の再会

「あの馬は今?」ガイド(2007ー2008)


1983年3月の半ば頃だったと思います。ふらっと北海道に行きました。馬のいる牧場で働きたくなったのです。もしかしたら、乗馬も習えるかもしれないという甘い期待もありました。

夜行列車に乗って青森まで行き、青函連絡船に乗って北海道に渡りました。久し振りの北海道です。サラブレッドの産地、日高地方に向かい、新冠のユース・ホステルに泊りました。

次の日、朝早く目が覚めたので、早朝の散歩に出かけました。

気持ちのいい朝で、のんびり歩いていたら、作務衣を着たお坊さんに声を掛けられました。一緒に歩きながら世間話をしていたら、なぜか、スペインの話になって、そのお坊さんもマドリッドに行ったと言います。話をしているうちに、共通の知人の名前が出て来て、お互いに顔を見合わせ、何だ、お前かと驚きました。

そのお坊さんと私はマドリッドで会っていたのです。お互いに名前を知っている程度で、連絡先とかは聞きませんでしたが、まさか、北海道で再会するとは思ってもいませんでした。

当時のお坊さんは長髪でヒッピーのようだったので、私は全然、気づきませんでした。私の方も髪形が違っていたのかもしれません。

お坊さんはマドリッドを後にしてからインドに行って、思う事があって、お坊さんになったようです。お坊さんといっても普通の僧侶ではなく、山伏です。吉野の金峯山寺で出家して、修行を積んだようです。新冠に金峯山寺の別院があって、そこに派遣されて来たとの事でした。

そのお坊さんは一年ほどして本山に帰り、百日行の厳しい修行を成し遂げました。


修験道っておもしろい!  はじめての修験道  修験道  大峯千日回峰行  修験道に学ぶ  住職がつづるとっておき金峯山寺物語
ラベル:北海道
posted by 酔雲 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

草津よいとこ、一度はおいで

草津温泉、湯畑の滝


草津温泉には学生の頃、何度かスキーに行っています。

今はホテルからスキー場まで送迎してくれますが、あの頃は皆、スキーをかついで歩いて行きました。

帰りは湯畑までスキーを履いたまま来られたと思います。

勿論、町の周りに高層マンションなどなく、小さな民宿がいくつもありました。

高校の卒業旅行で民宿に泊まった時、大学生を装って、民宿のオヤジさんと一緒に酒を飲んだのを覚えています。

あの頃、歴史には興味ありませんでしたが、のちに調べてみると、草津温泉は歴史が古く、様々な人が訪ねていました。

源頼朝から始まって、本願寺の蓮如、連歌師の宗祇、豊臣秀吉の異母妹で徳川家康の妻になった朝日姫、秀吉の養子の秀次、加賀百万石の前田利家も来ています。

戦国時代には草津の領主の湯本氏が武田家の家臣として、武田家が滅んだ後は、真田家の家臣として活躍しています。

江戸時代になると草津の湯は最も有名な温泉として、江戸から庶民たちがはるばる湯治にやって来ます。

弥次さん北さんでお馴染みの「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一九も草津に来ています。

一九を主役に滑稽本のような小説「草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし」を書いてみました。興味のある方は読んでみて下さい。


草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし  戦国草津温泉記・湯本善太夫  戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門
ラベル:草津温泉
posted by 酔雲 at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

忍びの発祥の地、飯道山

飯道山


甲賀の飯道山は修験の山です。

修験道の本場である大和(奈良県)の大峯山とも深いつながりがあり、大勢の山伏が修行していたものと思われます。

戦国時代に発達した忍びの術は山伏たちの武術から生まれました。

愛洲移香斎の物語を書くに当たって、どうしても飯道山と関係づけたくて、当時、飯道山は武術道場として栄えていたという事にしました。

若き移香斎が飯道山で修行を積んで、忍びの術を編み出し、近隣の若者たちに教えたという話にしました。

私が飯道山に行ったのは二十年近くも前で、山は静かでした。

登山中、誰とも会いませんでした。

飯道神社のある辺りには苔むした石垣があちこちに残っていて、昔の飯道寺の規模の大きさを偲ばせました。

山頂まで登りましたが、生憎、天気が悪くて琵琶湖を見る事はできませんでした。


陰の流れ《愛洲移香斎》
posted by 酔雲 at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月11日

愛洲移香斎の生誕地へ

五ケ所浦


上泉伊勢守の師で、陰流(かげりゅう)を編み出した愛洲移香斎(あいすいこうさい)は伊勢の国(三重県)の南、五ケ所浦で生まれました。

移香斎のいた頃、五ケ所浦は伊勢神宮の南の入口として、かなり賑わっていたと思われます。

私が五ケ所浦へ行ったのは、もう二十年近くも前の事で、静かな漁村といった感じでした。

役場にちょっとした資料室があって、それを見てから五ケ所城跡に行きました。

城跡に移香斎の顕彰碑が立っていたように記憶しています。

町中を一回りしてから、小さな富士山のような浅間山に登ってみました。

移香斎も登ったに違いないと思いながら登ったのですが、山頂は木が生い茂っていて、眺めはよくありませんでした。

古い祠があって、昔、富士山の修験者がこの山に登り、浅間山と名付けたのだろうと思いました。

浅間山を下りてから、名前はわかりませんが、五ケ所湾を見下ろせる山の上に登って、スーパーで買った弁当を食べました。

今は愛洲の館などが建って、観光客も多くなっているようです。

もう一度、行ってみたいと思っています。

 陰の流れ《愛洲移香斎》
posted by 酔雲 at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

マイルスを聴きながら

カインド・オブ・ブルー / マイルス・デイヴィス


21歳の時、安い中古の車を買って、日本一周に出かけました。

当時、足のいい奴と千葉真一が宣伝していたカリーナです。

白いボンネットをつや消しの黒に塗って、ラリーカー気取りで、マイルス・ディヴィスを聞きながら、御機嫌で車を走らせました。

カーステレオが付いていなかったので、カセットラジオを積んで聴いていました。

よく覚えていませんが、まず、北へ向かったのだと思います。

太平洋側を北上して、フェリーで北海道に渡り、一回りして、日本海側を南下して九州まで行ったような気がします。

勿論、ほとんど、車の中で眠りました。

鹿児島までは順調に行きましたが、それから、車の調子がおかしくなって、走っている最中にエンジンが止まってしまいました。

都城に友達がいたのですが、上り坂が登れず、諦めました。

交差点のど真ん中で止まってしまった事もありました。

四国にも行く予定だったのですが、それどころではなく、あらゆる神様仏様に祈って、車をなだめすかしながら、何とか、我が家にたどり着きました。

修理に出したら、ガソリン系統が故障していたようです。

マイルスを聴くと、あの時の冷や冷や感を思い出します。


バグス・グルーヴ マイルス・デイヴィス/スケッチ・オブ・スペイン+3 サムシン・エルス マイルス・デイヴィス/サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム マイルス・デイヴィス/ラウンド・アバウト・ミッドナイトMILES DAVIS/ROUND ABOUT MIDNIGHT
posted by 酔雲 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月06日

赤城の山も今宵かぎり

国定忠次の墓


父親の実家が国定村だったので、国定忠次の事は子供の頃から、よく話に聞きました。

忠次の墓にも何度も行きました。

昔は鬱蒼とした森の中にあって、薄暗かったのを覚えています。

博奕打ちが忠次にあやかろうと、墓石を欠いて持って行ってしまうので、削られて丸くなった墓石が檻のような鉄柵に囲まれていました。

亡くなってからも、檻の中に入れられるなんて可哀想だと子供ながらも思いました。

墓の側に『長岡忠次郎の墓』という碑があったような気がしますが、記憶違いかもしれません。

忠次の本名は忠次郎なのに、なぜか、忠治の方が広く知れ渡っています。

昔は芝居の出し物といえば、国定忠次というように、全国的に知れ渡っていました。

「赤城の山も今宵かぎり」という名セリフも誰もが知っていて、そのポーズを真似しました。

今では、忠次の存在を知らない人も多いようです。

上州(群馬県)といったら赤城山、赤城山といったら国定忠次というように、若い人たちにも知ってもらいたいものです。


cyuji.jpg   国定忠次外伝・嗚呼美女六斬
ラベル:国定忠次
posted by 酔雲 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月05日

北へ

網走番外地


名もない港に桃の花は咲けど、旅の町にはやすらぎはないさ〜

小林旭の歌を口ずさみながら、北海道へは何度も行きました。

遠い北海道は中学、高校の頃は憧れの地でした。

よく覚えていませんが、初めて行ったのは高校の頃だと思います。

上野駅から夜行列車に乗って、青森駅に朝に着き、青函連絡船で北海道に渡りました。

は〜るばる来たぜ〜とサブちゃんの函館、裕次郎の恋の街札幌、最北端の宗谷岬、健さんに憧れて冬の網走刑務所、知床旅情の知床岬、森進一の襟裳岬とあちこちを歩きました。

北海道で暮らそうと思っていましたが、成り行きで、そうにはなりませんでした。

もう、二十年以上も北海道には行っていません。

青函連絡船がなくなっしまったので、私の中で魅力が半減してしまったのかもしれません。

小林旭〜ゴールデン★ベスト マイトガイ★デラックス  ツインパック 芸道40周年記念アルバム〜函館の女・風雪ながれ旅・橋  石原裕次郎大全集  全曲集  昭和の放浪歌〜さすらい人の哀愁をたずねて〜
ラベル:北海道
posted by 酔雲 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

小樽の女よ、木之内みどり

木之内みどり


前回の旅の記憶をたどって行ったら、小樽の駅を降りて街に出たのを思い出しました。

有名な運河も見たのでしょうが記憶にはなく、木之内みどりの家に行ったのを覚えています。

当時、木之内みどりは売り出し中のアイドルで、友人は彼女のファンクラブに入っていたらしく、家を知っていました。

勿論、彼女はその家にはいません。ただ、この家で彼女が暮らしていたのかと眺めただけでした。

それから二年近く経って、木之内みどりと会いました。

日活撮影所に『野球狂の詩』を撮りに来ていたのでした。

何気なく、声を掛けたら、それが彼女でした。

実物はやはり、可愛くて、いい女でした。


yakyukyou.jpg  74−76ぼくらのベスト 木之内みどり アナログ・アルバム 完全復刻パッケージ1  77〜78 ぼくらのベスト〜木之内みどり アナログ・アルバム完全復刻パッケージ2  木之内みどり SINGLES コンプリート  木之内みどりベスト《MYこれ!クション》
posted by 酔雲 at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

日本一周とカップスター

カップスター


高校三年の春休み、友と二人で国鉄を利用して日本一周をしました。

当時、国鉄職員には家族が使える五日間だか、七日間だか忘れましたが、乗り放題のフリーチケットがありました。

私の父も、友人の父も国鉄職員だったので、それを利用したわけです。

勿論、利用できるのは各駅停車だけでしたが、当時は各駅停車の汽車も多く、夜行列車も多かったので、夜は夜行列車で移動して、北は北海道の稚内から、南は鹿児島まで一回りしました。

リュックに売り出したばかりのカップスターを二十個近く詰め込んで、駅員さんからお湯を貰って、汽車の中で食べました。

どこの駅にも、ストーブの上でお湯は沸いていました。

ほとんど、駅構内から出る事もなく、汽車の中で過ごしました。

最近は夜汽車なんて乗りませんが、あの硬い座席で丸くなって眠ったのを懐かしく思い出します。


カップスターしょうゆ味 (12個入り)  カップスターみそ味 (12個入り)   
ラベル:カップスター
posted by 酔雲 at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

紋次郎気取りで中山道を

木枯し紋次郎


木枯し紋次郎が流行っていた頃、中山道を独りで歩きました。

歩道もろくになく、車がビュービュー走っていたアスファルトの道路を紋次郎気取りで歩いたものです。

信州望月の宿場で古い宿屋に泊まったのを覚えています。

和田の宿場をウロウロして、結局、和田峠には行かずに、バスに乗って引き返しました。

道中合羽に三度笠、長脇差(ながどす)を差して、口に長い楊枝をくわえ、「あっしにはかかわりのねえこって‥‥‥」と言いながらも、かかわってしまう紋次郎。

紋次郎にとっては、旅というよりも生き様そのものでしたが、今でも、あんな旅に憧れます。


木枯し紋次郎 DVD-BOX I  木枯し紋次郎 DVD-BOX 2  木枯し紋次郎 DVD-BOX III   木枯し紋次郎 DVD-BOX(4)
ラベル:木枯し紋次郎
posted by 酔雲 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

初めての野宿

松島


確か、あれは16歳の夏休み、仙台の親戚の家から北を目指しました。

別に目的があったわけではなく、リュックを背負って北の方へと歩いて行きました。

松島まで来た時、日が暮れ、海辺の近くの公園で野宿をしました。

芝生の上に横になったものの、結局、眠る事はできませんでした。それでも、疲れは取れ、次の日も北へと歩きました。

その夜も海辺で野宿をしようと思っていたら、親切な漁師さんに声を掛けられ、その人の家に連れて行ってもらい、一晩、お世話になりました。

朝御飯もご馳走になり、がんばれよ、とリポビタンDを貰ったのを覚えています。

次の夜は野宿する場所が見つからず、小学校に行きました。一応、断って、軒下を借りようと思ったのですが、親切な用務員さんが、用務員室に泊めてくれました。

その後、どこまで歩いたのか、記憶にありません。多分、汽車に乗って仙台に帰ったのでしょう。

その時の経験が、何とかなるさ、という気ままな旅の原点なのかもしれません。


仙台 松島 蔵王  仙台・松島(2008)  奥の細道の謎を読む  モンベル ダウンファミリーバッグ   [モンベル]U.L.スーパーストレッチ ダウンハガー
ラベル:野宿
posted by 酔雲 at 10:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

風に吹かれて

ボブ・ディラン


タイトルを決めた時、自然と口に出てきたのは、ボブ・ディランの「風に吹かれて」でした。

学生の頃、よく聞いたものです。

口ずさみながら旅をした事もありました。

旅先で若者たちがギターを弾きながら歌っている場面を何度も目にしました。

友よ、答えは風に舞っている。その答えを求めて、あちこちを旅しました。

未だに答えはわかりません。

これからも、その答えを求めて、旅を続けようと思っています。


ボブ・ディラン/追憶のハイウェイ61  ボブ・ディランBob Dylan / Blonde On Blonde  ボブ・ディラン /地下室(ザ・ベイスメント・テープス)  ボブ・ディラン /欲望  ボブ・ディランのグレーテスト・ヒット
posted by 酔雲 at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅-1(国内編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。