2008年09月28日

ポール・ニューマン

明日に向かって撃て


ポール・ニューマンさんが9月26日に亡くなりました。83歳でした。

1969年に公開されたアメリカン・ニューシネマの最高傑作「明日に向かって撃て」は何度も観ました。当時、ポール・ニューマンは44歳、ロバート・レッドフォードは33歳、キャサリン・ロスは29歳、監督のジョージ・ロイ・ヒルは47歳でした。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが11年も歳の差があったなんて今回、調べて初めて知りました。

動画「Butch Cassidy and The Sundance Kid」「Butch Cassidy Fight

1925年、オハイオ州クリーブランドで生まれたポールは第二次世界大戦中は海軍に入隊し、戦後は演劇を志してニューヨークのアクターズ・スタジオに入ります。同期生にマーロン・ブランドとジェームズ・ディーンがいました。

1954年、ヴィクター・サヴィル監督の「銀の盃」で映画デビューを飾り、映画もヒットしますが、映画会社がポールの事を「第二のマーロン・ブランド」と宣伝した事が気に入らず、ハリウッドを去ってブロードウェイに戻ります。

1956年、ロバート・ワイズ監督の「傷だらけの栄光」で主役のボクサー、ロッキー・グラジアノを演じ、その演技が高く評価されて、ようやく有名になります。

1958年、テネシー・ウィリアムズ原作の「熱いトタン屋根の猫」に出演して、アカデミー主演男優賞にノミネートされます。

1960年に「栄光への脱出」、1961年に「ハスラー」、1966年に「引き裂かれたカーテン」「動く標的」、1967年に「暴力脱獄」、1968年に「脱走大作戦」とヒット作に出演して、1969年の「明日に向かって撃て」となります。その後も、1970年に「わが緑の大地」を監督主演をして、1972年に「ロイビーン」、1973年に「スティング」、1974年に「タワーリング・インフェルノ」、1982年に「評決」、1986年に「ハスラー2」と話題作に出演しました。


明日に向かって撃て!   ハスラー  暴力脱獄  ロイ・ビーン  スティング  タワーリング・インフェルノ
posted by 酔雲 at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月05日

1984年てどんな年?

カウント・ベイシー/スイングの心象



牧場で馬と暮らしながら、年は暮れて1984年になりました。

1984年(昭和59年)がどんな年だったのか、ほとんど思い出せませんので調べてみました。

北米の最高峰マッキンリーに冬季単独登頂に成功した植村直己さんが下山途中で消息不明になったのがこの年の2月でした。

7月にはロサンゼルスでオリンピックが開かれて、カール・ルイスが活躍しました。

10月にはインドのインディラ・ガンジー首相が射殺されました。

11月に新札が発行されて、1万円札は福沢諭吉、五千円札は新渡戸稲造、千円札は夏目漱石に変わりました。

11月の菊花賞で優勝して、シンボリルドルフが無敗で三冠馬になりました。

この年のヒット曲は森進一の「北の蛍」、細川たかしの「浪花節だよ人生は」、中森明菜の「北ウイング」、松田聖子の「ハートのイヤリング」、小泉今日子の「ヤマトナデシコ七変化」、高橋真梨子の「桃色吐息」、郷ひろみの「2億4千万の瞳」、舘ひろしの「泣かないで」、わらべの「もしも明日が」、安全地帯の「ワインレッドの心」でした。

テレビのCMではエリマキトカゲが話題になりました。

この年に亡くなったのは俳優の長谷川一夫(76)、歌手の霧島昇(69)、ジャズミュージシャンのカウント・ベイシー(79)、劇作家のリリアン・ヘルマン(79)、小説家のトルーマン・カポーティ(59)、映画監督のフランソワ・トリュフォー(52)、映画監督のサム・ペキンパー(59)でした。


植村直己物語  偉大なる三冠馬たち   銭形平次捕物控 死美人風呂  映画に愛をこめて アメリカの夜  ゲッタウェイ  ティファニーで朝食を〔Rubybooks〕
ラベル:1984年
posted by 酔雲 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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